2015/02/16

第18回 文化庁メディア芸術祭で気になった短編アニメーションその1―PADRE

●PADRE(父)
監督:Santiago 'Bou' GRASSO サンティアゴ・ブー・グラッソ(→公式サイト
製作:2013年
上映時間:11分55秒
制作国:大部分フランス (フランス, アルゼンチン)(→ユニフランスの紹介ページより
▼公式facebook
padre_facebook.jpg


▼PADRE (trailer)

PADRE (trailer) from opusBou on Vimeo.


▼PADRE - short film making of

PADRE - short film making of from opusBou on Vimeo.


▼第18回文化庁メディア芸術祭のページに掲載された作品概要(→こちら)は以下の通り。

軍事独裁が終わり、民主主義が芽生えつつある1983年のアルゼンチン。軍司令官を引退し、病床に伏す父親の看病にすべてを注ぐひとりの孤独な女性が描かれる。周囲は彼女に、新しい一歩を踏み出し変化を遂げることを求めるが、彼女は時計の振り子に操作されているかのように、ただ同じ毎日を繰り返すことに固執する。彼女はますます家にこもり、差し迫る社会変動を拒むかのように、ひたすら父親の看病に没頭する。しかし、外の世界は確実に変革をとげ、現実の叫びに耳を傾け行動を起こすよう彼女に迫る―。コマ撮りと3DCGの技法を用い、3年もの期間をかけて制作されたアニメーション。緻密にモデリングされた人物や小道具を撮影し、更にデジタルな処理を加え、重厚かつ独特な質感を生み出している。質の高い造形美と豊かな表現力で、日常を描写したアニメーション作品だ。


《感想など》
 メイキングによると、3年かけて作られた作品。主人公の造形や動かす為の仕組み、サイズはとても小さいけれど質感のある小道具、撮影の様子、パソコンを使った作業など、様々な技法を駆使しています。アルゼンチンの軍事独裁が終わりを告げた1983年、軍人の娘は独りでひっそりと暮らす。彼女が悪事をはたらいた訳ではないだろうに、あたかも罪悪感にさいなまれているような。……しかし、展示コーナーのTVで作品を見終わった後、掲示されている作品概要を読むと疑問が沸いてきました。「1983年のアルゼンチン」と書いてあるのですが、独裁時代の軍人達が裁かれたのは、もっと後の筈(この辺りの話は、Wikipediaの「汚い戦争」欄が参考になるかと思います)。WEBに上がっているメイキングを止めて見ると、主人公が薔薇の花を生ける時に下に敷いている新聞紙の見出しは「軍の最高司令官達、人権侵害で起訴される」(5分30秒頃)。しかも、壁に掛かっている家族写真では、父親が現役の軍高官の頃の娘は、もう少し若いように見えます(51秒頃)。一体、この女性は何歳なのか。そして、作品概要に「病床に伏す父親の看病にすべてを注ぐひとりの孤独な女性」と書いてありますが、父親の姿は一切出て来ません。毎朝薬を用意し、昼にはスープをベッドまで持って行くのに、そのベッドには誰もいません。更に「周囲は彼女に、新しい一歩を踏み出し変化を遂げることを求めるが」と書いてあるのですが、そんな人々は一人も出て来きません。

 どうして「作品概要」の文章と実際の作品の描写が一致しないのか。果たしてこれは1983年のアルゼンチンの話なのか…???と、私の頭は混乱してしまったのですが、ここで一つの解釈を試みれば、腑に落ちました。要は、この女性の時間は、1983年で止まってしまったのでしょう。自分自身が楽しむ事も出来ず(ケーキを食べずに捨てているのは、その象徴ではないでしょうか)、自分が侵した(犯した)事ではないのに、ラジオから流れる「五月広場の母親達」の抗議の声に耳をふさぐ。ラジオの内容は、収容された政治犯や、女性の政治犯らが獄中で出産した後に養子に出されて行方が分からずにいる、そのような子供や孫を持つ女性達の抗議活動の声なのだと思います。この件は、昨年に孫と再会できた母親の話がニュースになりましたが(→こちら)、今も完全には解決していません。そして、作中で描かれる、窓の外の小鳥達の様子は、かつて彼女の家を訪れた人々であり、彼らをシャットアウトしていた様子の比喩なのではないかと思いました。

 この短編アニメ作品『PADRE』は、エンドクレジットの後、ラジオで流れた抗議行動の模様が実写で映し出されます。女性達の抗議の声は、メモを正確にはとれなかったのですが、字幕には「私達は知りたいのです/軍が隠蔽していた真実を/探し求める真実は/名前入りの抹消リスト/誰が息子達を殺したのか」という内容が書いてありました。この抗議は父に向けられたものであっても、彼女の心に突き刺ささっていたのではないでしょうか。彼女もまた、軍政の犠牲者と言えるかも知れません。未だ解決しない国家犯罪を描く事で、少しでも真実に近づく事を望み、そして、同じ事が二度と起きてはならないという、監督のメッセージを受け取ったような気がしました。以上、あくまで私の解釈ですが、実際の所、監督の狙いはどこにあったのでしょう。トーク付き上映会に行けなかったのが悔やまれます。