2015/12/12

伤痕(傷跡)-(1)

●伤痕(傷跡、Shanghen)
作者:李昆武(リー・クン・ウー、Li Kunwu)
発行:三联书店(三聯書店)
2012年11月刊


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 邦訳『チャイニーズ・ライフ――激動の中国を生きたある中国人画家の物語(仏語題:Une vie chinoise、中国語題:从小李到老李:一个中国人的一生)』が出ている中国の漫画家、李昆武氏による、抗日戦争を扱った漫画。フランスでは『Cicatrices』という題名で翻訳が出ています。これから数回に分けて内容の紹介や考察、感想等を書いていこうと思います。まずは、書籍の外観に書かれている文章の日本語訳から。


《表表紙の帯文》

记忆是有力量的。有些记忆最终变成智慧,可使我们免于愚蠢和偏见,凶残和懦弱,可使我们免于施暴,也可免于受难。这是很多人矢志不忘战争的理由, 也是另一些千方百计想要抹去记忆的原因。
——《新民周刊》抗战特刊/

(拙訳)
記憶は力を持つものだ。幾つかの記憶は最後には知恵に変わり、我々を愚鈍や偏見、凶暴さと残酷さ、そして意気地の無さから逃れさせてくれるし、我々が暴力を振るう事から逃れさせてくれるし、災難を受ける事からも逃れさせてくれる。これが、とても多くの人々が戦争を忘れまいと心に誓う理由であり、他方であらゆる方法を講じて記憶を抹消したがる原因である。
——『新民週刊』抗日戦争特集号


《裏表紙の帯文》

在昆明文物市场上,作者意外发现了一张日本人绘于1894年的彩图,描绘了中日申午的场景。作者因此与文物店老板老七结缘,得以亲眼目睹老七的师傅珍藏的一大批战争资料,包括日军随军记者在侵华时期制作的照片集、纪念册、画报、地图等。在翻译、整理这批史料的过程中,作者和亲人记忆深处伤痕也意外地被揭开。于是作者拿起画笔,用漫画和照片交织融合的奇特方式,讲述这段不能忘却的历史……

(拙訳)
昆明の古物市場で、作者は思いがけず、日本人が1894年を描いた彩色画を見つけた。それは日清戦争の場面を描いたものだった。作者はそこで古物商の主人である七氏と知り合いになり、七氏の親方が秘蔵していた大量の戦争資料を目の当たりにする。そこには、日本軍の従軍記者が中国侵略の時期に製作した写真集や記念アルバム、写真誌、地図等を含んでいた。それらの資料を翻訳し整理する過程で、作者と親族の記憶の深い所にある傷跡が思いかけず開かれる。それで作者は絵筆を手に取り、漫画と写真が織りなす奇特な方式を用いて、この忘却不能な歴史を述べる…。


《裏表紙に書かれている文章》

在我的眼前沸腾着一片火海,我从没有见过样大的火,火烧毁了一切:生命,心血,财富和希望。但这和我并不是漠不相关的。燃烧着的土地是我居住地方;受难的人们是我的同胞,我的弟兄;被摧毁的是我的希望,我的理想。这一个民族的理想正受着熬煎。我望着漫天的红光,我觉得有一把刀割着我的心。
——巴金《火》

(拙訳)
私の目の前には一面火の海が燃えたぎり、私は今までこのような大火を見た事が無かった。火は一切を焼き尽くした。生命、心血、財産、そして希望を。しかし、この事と私とは決して無関係では無い。燃えた土地は私が住んでいる場所だ。災難を受けた人々は私の同胞であり、私の兄弟だ。打ち砕かれたのは私の希望であり、私の理想だ。この一つの民族の理想は正に艱難辛苦を受けている。私は空を覆う紅い炎を見渡している。私は一振りの刀が私の心を斬るのを感じる。
——巴金「火」

我因为这个时代的洪流,冲进了人们心房中的痛苦,让我感觉到人生的悲哀,又让我兴奋到这个时代的伟大,一切的一切,使我不能忽视这个时代的造就,更不能抛弃时代给与大众的创伤。
——蒋兆和

(拙訳)
私はこの時代の奔流故に、人々の心の苦しみが押し流され、私に人生の悲哀を感じさせ、また、この時代の偉大さに精神を高揚させ、ありとあらゆるものが、私にこの時代の造詣をないがしろには出来無くさせ、更に、時代が与える大衆の傷を放っておく事を出来なくさせる。
——蒋兆和

在并不遥远的过去,那种破坏性的盲信,曾践踏了国内和周边国家的人民的理智。而我,则是拥有这种历史的国家的一位国民。作为生活于现代这种的时的人,作为被这样的历史打上痛苦烙印的回忆着,我无法和川端一同喊出“美丽的日本的我”。
——大江健三郎

(拙訳)
決して遠くは無い過去、あのような破壊的な盲信が、かつて国内と周辺の国家の人民の理性を踏みにじった。しかし私は、このような歴史的、国家的なものを抱える一人の国民である。現在においてこのような時代の者が生きるが故に、このような歴史に追憶の苦痛の烙印を押されたが故に、私は川端らと共に「美しい私の日本」と叫びようが無い。



(2016年3月18日追記)
 すみません。この記事をUPしてから早3ヶ月。中国語の辞書を引くのが大変なのと、内容が重いのとで、続きが書けませんでした。もうしばらく時間を下さい。その間、別な記事をUPしていきます。

 これまでに調べた、この作品に関連したページは以下の通り。ご参考になさって下さい。
 ●「中国漫画家、日本側の写真資料で戦争の「傷跡」描く」(人民網日本語版より)
  (なお、李昆武氏の作品に関する人民網日本語版記事は
   「中国人漫画家、文化庁メディア芸術祭優秀作品賞を受賞 中国人初の快挙」も。)
 ●李昆武氏のサイト


(最終更新日:2016年3月18日追記)

2015/08/05

私にとって切実な話題「外国語をどう学ぶか」

 すみません、ブログの更新が半年近く空いてしまいました。更新が滞る理由は色々あるのですが、最大の原因は「私には語学力がない」、これに尽きるでしょう。


 そんな折、図書館に置いてあったフリーペーパー『東京くらしねっと』(東京都消費生活総合センター発行 →サイト)の6月号の表紙には「今月の話題 外国語をどう学ぶか」という、私にとっては切実なテーマが…!
 6月を過ぎても、東京都外の人も、ネットにその内容が上がっているので、ご紹介します。


▼東京くらしねっと 平成27年 2015 No.218 6月号 トップページ
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▼今月の話題 外国語をどう学ぶか
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 この特集、本文冒頭にもあるように、2020年の東京オリンピックを意識していると思われますが、2020年を待たなくても、今現在、私にとって外国語を学ぶ必要性がひしひしと感じているところなので、わらにもすがる思いです。


 ここで書かれているポイントは実にシンプルで、
  • 動機付けを持って、学習意欲を絶やさない様にする
  • 音読と暗唱。音読は出来るだけ大声で。
  • インターネットの活用。
の3点です。この中でも、とりわけ「音読と暗唱」を強調しています。「音読の回数が増えると歌のように耳に残りますから、その言語のリズムを体感できますので、頭ではなく耳と喉で暗誦できるようになります。」との事です。


 また、語学学習者のお手本として「トロイの遺跡発掘で有名なハインリヒ・シュリーマン」の学習法を紹介しています。しかし「何種もの外国語をほとんど独学で習得したことでも知られています。」と言いつつ、その方法として「非常に多く音読すること、決して翻訳しないこと、毎日1時間をあてること、常に興味ある対象について作文を書くこと、これを教師の指導によって訂正すること、前日直されたものを暗記して、次の時間に暗誦すること」と書いてあり、独学してないじゃん!やっぱり先生がついてるじゃん!と思ったのですが、個人的な経験として、やはり独学では限界があるし、ネイティブの人に対して間違った発音をすると「え?」って感じで顔をしかめたりされるので、これは真理には違いないと思いました。(そう、私は幾つかの言語について、全くの独学ではないのですが、習っててその程度かと言われると立つ瀬がないので、そこはあまり突っ込まないで頂けると助かります。)
 そこで、この特集では最後に、語学教室等に関するトラブル事例を挙げています。お金のかかる事ですので、教室等を選ぶ際の参考になると思います。



 …以上、『東京くらしねっと』の外国語学習についての記事をご紹介しましたが、語学を学ぶ側としては、もう一つ重要な事を付け加えなければなりません。この記事を執筆されているのは東京外語大学教授との事なので、あまりにも当たり前すぎて挙げなかったのかもしれませんが、それは何かというと、辞書を引くのを面倒くさがらないという事です。だって、辞書を引かないと何が書いてあるか分からないじゃないですか。ネットには翻訳サイトがあり、ブラウザには翻訳機能が付いていますが、一つの単語に複数の意味がある時の選択や、否定形がどこにかかっているのか時々間違っているのが困ります。現状では、何が書いてあるかの参考にするものであり、ちゃんと意味をつかむ為には、自分なりに修正を加える必要があると思います。今後の翻訳機能の精度が待たれます。


 私のような怠惰な者にとって、辞書を引くのはものすごく面倒くさいのですが、ちょっと頑張るだけで、意味不明な文字の羅列に生命が宿るかのような手応えと快感があります。あまり頑張りすぎると疲れて投げ出してしまいがちなので、休息の取り方を工夫しながら、コツコツと辞書を引いていきたいと思います。そして、音読と暗唱。音読は部屋に一人でいても気恥ずかしくなってしまうのですが(自意識過剰なのかも知れない…)、いざ外国の人と話す時に効果を発揮すると思うので、勇気を振り絞りたいと思います。


《最終更新日:12月3日》

2015/02/20

第18回 文化庁メディア芸術祭で気になった短編アニメーションその2―The Wound

●The Wound(傷)
監督:Anna BUDANOVA アンナ・ブダノヴァ
製作:2013年
上映時間:9分21秒
制作国:ロシア

The Wound from Anna Budanova on Vimeo.


《感想など》
 ↑vimeoに監督自ら全編upされています。至近距離で見ると、鉛筆画っぽい絵の細かい筆致が良く分かります。

 要領が悪く人の輪にも溶け込めない主人公。男子連中にいじめられて、泣きながら家に帰り、ベッドの下の床に落書きした絵から誕生したのが「Wound(ウーンド、心の傷)」というモンスター。以後、主人公と「ウーンド」は、切っても切れない仲となります。成長してからも要領が悪く、容姿にも恵まれず、傷つく度に、主人公は「ウーンド」に慰められます。しかし、主人公の傷つく経験が増えるにつれ、ウーンドは巨大化し、凶暴化していきます。主人公が年老いた頃には、すっかりウーンドに支配されてしまいます。あたかも、人間同士のカップルで、関係が深まっていく内にパートナーからDVを受けるようになり、でも共依存の関係だから逃れられない、そんな状態を連想してしまいました。
 でも、文化庁メディア芸術祭のサイトに書いてある「作品概要」(→こちら)は、私が感じているのとは、ちょっとニュアンスが違うようです。

心の傷(英・wound)に苦しむ少女。その傷が少女の空想の中で、毛むくじゃらの生き物・ウーンドとして誕生するところから物語は始まる。かけがえのない親友として少女とともに成長していくウーンドは、彼女の頭の中にすっかり居ついて、段々と存在感を増し、やがてその人生を完全にコントロールするようになる。作者の幼い頃の記憶をもとに作られた本作は、数名の友人から成る少人数のチームで制作された。特に音作りにはこだわりがあり、独特なサウンドトラックを作るために、楽器以外の音源を用いるなどの工夫がなされている。少女とウーンドが繰り広げる、悪夢のようでありながらも美しい友情を描いた短編アニメーション。


 「悪夢のようでありながらも美しい友情」…。「美しい友情」なんでしょうか…?むしろ、「おぞましい」と感じたものでした。傷つく経験を繰り返すにつれ自分の殻に閉じこもり、恐怖にさいなまれて何も出来ずに年老いていく主人公の姿に、私は何かしら警告めいたものを受け止めました。人間誰しも多かれ少なかれコンプレックスを持っている事と思います。だから、誰しもが何らかの「ウーンド」を心の仲に抱えている。そういう普遍性を、私はこの作品に感じました。DVパートナーなら全力で逃げ出すしかないと思いますが、心の仲のパートナーからは決して逃げられない。そんなパートナー、即ち「自分」とどう向き合って生きていくのか。そんな事を考えさせられました。

2015/02/16

第18回 文化庁メディア芸術祭で気になった短編アニメーションその1―PADRE

●PADRE(父)
監督:Santiago 'Bou' GRASSO サンティアゴ・ブー・グラッソ(→公式サイト
製作:2013年
上映時間:11分55秒
制作国:大部分フランス (フランス, アルゼンチン)(→ユニフランスの紹介ページより
▼公式facebook
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▼PADRE (trailer)

PADRE (trailer) from opusBou on Vimeo.


▼PADRE - short film making of

PADRE - short film making of from opusBou on Vimeo.


▼第18回文化庁メディア芸術祭のページに掲載された作品概要(→こちら)は以下の通り。

軍事独裁が終わり、民主主義が芽生えつつある1983年のアルゼンチン。軍司令官を引退し、病床に伏す父親の看病にすべてを注ぐひとりの孤独な女性が描かれる。周囲は彼女に、新しい一歩を踏み出し変化を遂げることを求めるが、彼女は時計の振り子に操作されているかのように、ただ同じ毎日を繰り返すことに固執する。彼女はますます家にこもり、差し迫る社会変動を拒むかのように、ひたすら父親の看病に没頭する。しかし、外の世界は確実に変革をとげ、現実の叫びに耳を傾け行動を起こすよう彼女に迫る―。コマ撮りと3DCGの技法を用い、3年もの期間をかけて制作されたアニメーション。緻密にモデリングされた人物や小道具を撮影し、更にデジタルな処理を加え、重厚かつ独特な質感を生み出している。質の高い造形美と豊かな表現力で、日常を描写したアニメーション作品だ。


《感想など》
 メイキングによると、3年かけて作られた作品。主人公の造形や動かす為の仕組み、サイズはとても小さいけれど質感のある小道具、撮影の様子、パソコンを使った作業など、様々な技法を駆使しています。アルゼンチンの軍事独裁が終わりを告げた1983年、軍人の娘は独りでひっそりと暮らす。彼女が悪事をはたらいた訳ではないだろうに、あたかも罪悪感にさいなまれているような。……しかし、展示コーナーのTVで作品を見終わった後、掲示されている作品概要を読むと疑問が沸いてきました。「1983年のアルゼンチン」と書いてあるのですが、独裁時代の軍人達が裁かれたのは、もっと後の筈(この辺りの話は、Wikipediaの「汚い戦争」欄が参考になるかと思います)。WEBに上がっているメイキングを止めて見ると、主人公が薔薇の花を生ける時に下に敷いている新聞紙の見出しは「軍の最高司令官達、人権侵害で起訴される」(5分30秒頃)。しかも、壁に掛かっている家族写真では、父親が現役の軍高官の頃の娘は、もう少し若いように見えます(51秒頃)。一体、この女性は何歳なのか。そして、作品概要に「病床に伏す父親の看病にすべてを注ぐひとりの孤独な女性」と書いてありますが、父親の姿は一切出て来ません。毎朝薬を用意し、昼にはスープをベッドまで持って行くのに、そのベッドには誰もいません。更に「周囲は彼女に、新しい一歩を踏み出し変化を遂げることを求めるが」と書いてあるのですが、そんな人々は一人も出て来きません。

 どうして「作品概要」の文章と実際の作品の描写が一致しないのか。果たしてこれは1983年のアルゼンチンの話なのか…???と、私の頭は混乱してしまったのですが、ここで一つの解釈を試みれば、腑に落ちました。要は、この女性の時間は、1983年で止まってしまったのでしょう。自分自身が楽しむ事も出来ず(ケーキを食べずに捨てているのは、その象徴ではないでしょうか)、自分が侵した(犯した)事ではないのに、ラジオから流れる「五月広場の母親達」の抗議の声に耳をふさぐ。ラジオの内容は、収容された政治犯や、女性の政治犯らが獄中で出産した後に養子に出されて行方が分からずにいる、そのような子供や孫を持つ女性達の抗議活動の声なのだと思います。この件は、昨年に孫と再会できた母親の話がニュースになりましたが(→こちら)、今も完全には解決していません。そして、作中で描かれる、窓の外の小鳥達の様子は、かつて彼女の家を訪れた人々であり、彼らをシャットアウトしていた様子の比喩なのではないかと思いました。

 この短編アニメ作品『PADRE』は、エンドクレジットの後、ラジオで流れた抗議行動の模様が実写で映し出されます。女性達の抗議の声は、メモを正確にはとれなかったのですが、字幕には「私達は知りたいのです/軍が隠蔽していた真実を/探し求める真実は/名前入りの抹消リスト/誰が息子達を殺したのか」という内容が書いてありました。この抗議は父に向けられたものであっても、彼女の心に突き刺ささっていたのではないでしょうか。彼女もまた、軍政の犠牲者と言えるかも知れません。未だ解決しない国家犯罪を描く事で、少しでも真実に近づく事を望み、そして、同じ事が二度と起きてはならないという、監督のメッセージを受け取ったような気がしました。以上、あくまで私の解釈ですが、実際の所、監督の狙いはどこにあったのでしょう。トーク付き上映会に行けなかったのが悔やまれます。

2015/02/14

外国映画DVDに潜む外国漫画の話題

 近年、外国漫画の邦訳の出版が増えてきているとはいえ、日本国内の漫画出版点数の中では微々たるものだし、日本人の多くは外国でどんな漫画が読まれているかご存じないと思います。しかし、注意深く目をこらすと、そこここに外国漫画の情報が潜んでいるのです。そこで今回は、レンタルDVDで発見したそれらの小ネタを3つ、ご報告したいと思います。


●『デビルズ・バックボーン』特典映像より
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 ギレルモ・デル・トロ監督のスペイン映画。2001年製作。2004年日本公開(→日本版公式サイト→日本語版Wikipedia)。内戦下のスペインの孤児院を舞台にしたホラー映画。この映画のストーリーボードの担当しているのが、スペインのベテラン漫画家、Carlos Giménez(カルロス・ヒメネス)氏。氏の公式サイト(→こちら)の中に、その画像があります(→こちら)。ツィッターで西紙『エル・パイス』電子版が代表作であり自伝的作品である『Paracuellos(パラクエージョス)』を紹介していて、記事中でその事に触れていました。
(▼拙訳:カルロス・ヒメネスの『パラクエージョス』、戦後スペインの最も恐ろしい物語の一つ)


 先にヒメネス氏公式サイトのストーリーボードを見てしまってはネタバレになってしまうと思い、DVDをレンタルして鑑賞した所、特典映像の中に、デル・トロ監督とヒメネス氏のストーリーボードと該当部分の映像が紹介されていました。しかし、解説にも、監督のオーディオコメンタリーにも、カルロス・ヒメネスという人が何者なのか全く語られていなかったのが残念でした。映画の設定とは時代が異なるといえども、ヒメネス氏の孤児院生活経験は、この映画に何らかの影響を与えていると思うのですが…。


●『夜のとばりの物語 ―醒めない夢―』より「イワン王子と七変化の姫」
 ミッシェル・オスロ監督の、5本の短編で構成されるフランス映画。2010年仏TV放映、2013年日本公開。(→公式サイト→仏語版Wikipedia)。日本でのキャッチフレーズ「もう私に恋をしたの?」は、仏語では下記字幕のように言うのですね。
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 かなり強引な展開のロマンチックな影絵風アニメーションの数々。しばしの間、甘い気分にひたれます。寝る前に観ると良い夢が見られそうです。…と、ここまでは特に外国漫画の話題はありません。数年前に観た同監督の『アズールとアスマール』のラストが強引な取って付けたような印象があって、その時は、この人の人柄の表れなのかな、良い人だな、と思っていたのですが、その後『フランス児童文学への招待』(末松氷海子著、1997年西村書店刊)を読んで、31~32頁に書かれている「十七世紀の終わりから十八世紀の初めにかけて、大流行した妖精物語」の影響を受けているのか、はたまた踏襲しているのかなと思ったものでした。ちなみに、フランスの児童文学について書かれた本には、現地で長く読まれ続けているバンドデシネが紹介されている事が多いです。かつて、旧ブログで『フランスの子ども絵本史』について書いた事がありました(→こちら)。その他、私が見つけた範囲では、石澤小枝子著『フランス児童文学の研究』(1991年久山社刊)、フランソワ・カラデック著、石澤小枝子訳『フランス児童文学史』(1994年青山社刊)、私市保彦著『フランスの子どもの本』(2001年白水社刊)がありました。現在は入手難のものが多いかも知れませんが、とりあえず、東京都立多摩図書館で全部閲覧可能。そして、書籍内容をブログで紹介して下さっている方がいらっしゃいますので(→「存生記」2005年03月24日付記事)、そちらも参考になるかと思います。


●『イヴ・サンローラン』より
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 公私ともにパートナーであったピエール・ベルジェ氏が語る、イヴ・サンローランのドキュメンタリー映画。ピエール・トルトン監督。2010年フランス、2011年日本公開。(→日本語版公式サイト)イヴ・サンローランの死後、2人で集めた古美術品のコレクションをオークションに出すための搬出の模様と、2人のこれまでの軌跡の述懐と記録映像が織り交ぜて語られていきます。愛する人との別離が、コレクションが部屋から消えていく事によって輪郭を伴って描写されるので、最後には、やっぱり涙ぐんでしまいました。
 過去の回想で「モンドリアンルック」の話題になった時、モンドリアンの画集が届いたという映像が流れるのですが、その画集の側、デザイン画の下にあるのは、イヴ・サンローラン唯一の漫画『La vilaine Lulu(おてんばルル)』のアルバム(単行本)ではありませんか。『おてんばルル』の邦訳については、以前、旧ブログで書きました(→こちら)。ピエール・ベルジェ・イヴ・サンローラン財団のサイトはurlが変わっていますが(→こちら)、『La vilaine Lulu』の話題もばっちり存在します(→こちら)。
 そして日本ではTVアニメ化に併せて(旧ブログでのこの件に関する記事は→こちら)、2009年に邦訳のソフトカバー版が刊行されました。そこで、ハードカバー版からの変更が無いか、図書館で借りてみました。両者を並べた写真が以下の通り。
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 すると新たな発見が。「訳者あとがき」が新しくなって、本作の裏話が増えています。文中「(第2巻収録)」と書いてあるのですが、確かに映画のワンシーンでも2冊重なっているように見えます。また、私が旧ブログで書いた(→こちら)疑問点である「ルールレラ」の元ネタに変更がなされていました。
▼ハードカバー版
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 ↓
▼ソフトカバー版
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 …私が旧ブログで書いた事は間違っていなかったようです。他にも幾つかの変更点や追加点があるのですが、個人的には何と言っても「訳者あとがき」の中の、ルルのモデルとなった人物と、「むずかしい選択」に出て来る「白ずくめの店」の元ネタとおぼしきブランド名が衝撃的でした。なので、ハードカバー版の単行本をお持ちのルルファンの皆様も、是非ソフトカバー版もチェックすべきだと思います。



 …と、3本の映画について、中に潜んでいる外国漫画の話題を挙げたのですが、他にもう一つ、思い出しました。台湾映画『セデック・バレ(→公式サイト)』の原作漫画についてです。「INTRODUCTION(→こちら)」に出て来る「「霧社事件」を扱った漫画」は、かつて邦訳が出版されていたのでした。ただ、私はまだ漫画を読んだだけで映画は未見だし、もう少し調べたい事もあるので、この件については、またいつか。(邦訳の存在を知ったのは、映画の公式サイトの文章からピンと来たのか、はたまたバンドデシネ情報サイトに作者のインタビューが載っていたので知ったのか、記憶が定かでは無いのですが、その辺も含めて、またいつか…。)


《最終更新日:12月12日》

2015/01/30

コルト・マルテーズの帰還

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 昨年2度に分けて記事をupした(→こちら→こちら)、ヨーロッパの有名な漫画シリーズ「Corto Maltese」の話題の続き。作者名「Hugo Pratt」はイタリア人だからカナ表記は「ウーゴ・プラット」が良いのでしょうけど、シリーズ名であり主人公の名前である「Corto Maltese」のカナ表記をどうしようか、相変わらず悩んでいます。以前にも書いたように、イタリア人の描いた漫画のキャラクターだし、物語の中で主人公が生まれた頃のマルタ島の公用語はイタリア語だったそうだから、ここは「コルト・マルテーゼ」の表記で統一すれば良いのですが、生前、作者は、インタビューに伊語で答える時は「コルト・マルテーゼ」と言い(→こちらとか→こちらとか)、仏語で答える時は「コルト・マルテーズ」と言っていた(→こちらとか→こちらとか)ので、私もそれにならいたくなりました。なので、話題の出所の言語に合わせて、カナ表記を変えます。今回はフランス語。


 昨年、2014年10月7日に、フランスのウーゴ・プラットファンサイト「LES ARCHIVES HUGO PRATT」ブログに「Le retour de Corto Maltese sans Hugo Pratt(ウーゴ・プラット不在のコルト・マルテーズの帰還)」という記事が載っていました(→こちら)。


 仏新聞『ル・フィガロ』電子版の2014年10月6日付記事「Le retour de Corto Maltese fait le bonheur des premiers fans(コルト・マルテーズの帰還は、初期のファンを幸福にするだろう)」という記事(→こちら)が出典で、ウーゴ・プラット没後20年の2015年に続編が刊行されるという話です。同様のアナウンスが、フランクフルト・ブックフェアにて、Casterman社(キャステルマン社、仏語版の版元)のトップであるCharlotte Gallimard(シャルロット・ガリマール)氏によってなされたとの事(→こちら)。


 その新作は、シナリオが Juan Diaz Canales(フアン・ディアス・カナレス)氏、作画がRubén Pellejero(ルベン・ペジェヘーロ)氏の、スペイン人作家のコンビが担当するのだそうです。刊行は2015年10月。上述フランクフルト・ブックフェアの記事によると、キャステルマン社からは仏語版と蘭語版、同時にRizzoli-Lizard(リッツォーリ-リザード)社から伊語版、Norma(ノルマ)社から西語版が刊行されるそうです。当ブログ2014年11月20日付け記事(→こちら)の最後に思わせぶりな事を書いたのは、この件が頭の隅にあったからです。ちょうど今、フランスで「アングレーム国際漫画フェスティバル」が開催中ですが、「アングレーム国際漫画フェスティバル 日本語ブログ【公認】」の1月29日付記事によると(→こちら)、両氏のトークショーが予定されているとの事ですから、この件に関して新しい話が聞けるかも知れません。


 フアン・ディアス・カナレス氏は、日本では「ブラックサッド」シリーズのシナリオでお馴染みだと思います。カナレス氏のイラストブログ「Todos reyes, todos poetas(全ての王、全ての詩人)」には、過去の絵にコンラッドの小説『闇の奥』を漫画化したサンプルがあり(→こちら)、コンラッドといえば、プラットが大いに影響を受けた作家だそうですから、カナレス氏もこうして漫画化に取り組んだのでしょう。


 ルベン・ペジェヘーロ氏は1952年生まれのベテラン漫画家。フランスでは1997年に、Jorge Zentner(ホルヘ・セントネール)氏がシナリオ担当の『Le Silence de Malka(マルカの沈黙)』でアルバム賞を受賞しています。上述のウーゴ・プラットファンサイトに上がっている画像を見ると、「コルト・マルテーズ」の『Tango(タンゴ)』のワンシーンに類似したコマも描いているようです。シナリオ・作画共に熱心なプラットのファンだと思われますので、どんな風に描かれるか、拝見する日が楽しみです。


 ただ、昔ながらの熱心な「コルト・マルテーズ」ファンの中には、他の作家に描かれるのを嫌がる人もいる事でしょう。それでも、このような新作はオリジナルの宣伝にもなりますし、描き継がれる事によってキャラクターはこの世界を生き延びていくのだと思います。


 上述のフィガロ電子版には4人の有識者によるコメントが載っているのですが、その内、日本でも有名なバンドデシネ作家、エンキ・ビラル氏のコメントの文字で書かれた部分を訳してみました(動画の方はさっぱり聞き取れなかったのですが、文字版と大きな違いはあったのでしょうか…?)。

 エンキ・ビラル「とんでもない挑戦」
 「私はまず第一に好奇心を覚えた。精神に悪い病的な意味での好奇心ではなく、むしろポジティブなものだ。私はこのプロジェクトに対して、かなり好意的な感情を抱いている。しかし、私は作品を目にするのを待つ。私にとってコルト・マルテーズは、何よりもウーゴ・プラットだ。それは実に自由なトーンで描かれている。作者の自由でもある。ウーゴ・プラットはこの世の快楽主義者のようなところがあった。彼の死の20年後、彼が崇拝対象とするキャラクターが復活する事は、私の気を悪くするものではない。異なった物語進行は、権利を持つ者が許可を与えた以上、尊重されるものだ。それでもやはり、はっきり言って、それはとんでもない挑戦だ。新しい執筆者達には、その能力が無ければならない。それは単なるコピーであってはならない。それは、ほぼ、わずかにずらしたものになるべきなのではないか。この翻案がひとつのオマージュなるために。


 ところで、本国の「コルト・マルテーズ」公式サイトの「NEWS」欄によると(→こちら)、大型本英語版全12巻が順次刊行されるそうですよ。既に第2巻『Corto Maltese: Under the Sign of Capricorn』が出てる模様(→米amazon)第1巻はカラー版の小型本でしたが(→米amazon)、いつか出し直す日がくるのでしょうか。

2015/01/26

「私はシャルリーだ」と言いづらくて(その4・完)

 私が『シャルリー・エブド』紙襲撃事件が日本に与える悪影響として恐れていたのは、以下の三点。一点目は、フランスやEUは近年、日本に対して死刑制度の廃止を促していますが、こういった助言に対して今以上に聞く耳を持たなくなる事。二点目は、日本で起きている差別表現(女性差別や民族差別等)への抗議活動に対して、聞く耳を持たないどころかテロ扱いされたり、抗議された側がさも被害者であるかの如き喧伝をしやしないかという事。三点目は、日本でも昨今イスラム教徒が大勢住んでいると思うのですが、イスラモフォビアが生じなければ良いがという懸念。今の所、日本では『シャルリー・エブド』紙のムハンマド風刺イラストは評判が悪そうだし、フランスもイスラム教徒もあまり身近な存在では無いから、大きな影響は無さそうな気がする…と思っていたところ、ここ数日のISISによる日本人人質事件が急展開を迎えているので、この先どうなるか、正直、不安な気持ちが高まっています。


 襲撃事件後、『シャルリー・エブド』紙編集スタッフは『リベラシオン』紙のオフィスに間借りして次の号を制作しましたが、表紙がやっぱりムハンマドのイラストで、イスラム教徒でもないのに何故そこまで自分達と一体化させるのかと、憤りと呆れを感じたものでした。この表紙の中の文章の訳については、詳しい解説がネットに上げられました(→こちら)。しかし、「許す」にせよ「赦す」にせよ、その主体は本来、殺された被害者達ではないのでしょうか。釈然としない気持ちが残りました。
charlie_hebdo_pardonne


 今回の襲撃犯のようなテロリストと他のイスラム教徒とは峻別すべきだという事は誰もが思っている事だと思います。実際、編集スタッフが事件前の最後のツィッターに載せた画像は「イスラム国」の指導者アブー・バクル・アル=バグダーディーで、今回の襲撃を予言するようなセリフを言わせていました。
▼(拙訳:絵の中…アル=バグダーディーの願いもまた/そして、くれぐれも健康で!、絵の外…一番の願いだ、時として)


 報道によると、過去に火炎瓶による襲撃事件が起きたり、最近も脅迫を受けて護衛の警官がついていたとの事ですから、そういう勢力との、ある種の戦いを繰り広げていたと言えるかもしれません。とはいえ、最新号のようにムハンマドのイラストを用いる事で、テロを起こす気など全くない人々に対しても挑発しているかのような受け止められ方がされ、実際、多くの国々のイスラム教徒が抗議活動を起こしています。だけど、フランスの風刺の歴史や政教分離や同化主義等を解説している文章を読むと、ムハンマドの描かれ方は、フランスにとっては余りおかしな事ではないのかなという風に感じられます。すると、この『シャルリー・エブド』紙は「フランス」と同調しているんじゃないでしょうか。左翼系の風刺雑誌と自認し、政治家批判も沢山載っているみたいですが、それも「フランス」の一部なのでしょう。だからこその「JE SUIS CHARLIE」の大合唱で、フランス及び近隣諸国の首脳を交えた大行進なんだと思います。国家主導という点に抵抗感を覚えますし、しかも非フランス人の私は、その動きには加わりにくいです。『シャルリー・エブド』紙の現物をちゃんと読んだ事がない者の憶測ゆえ、見当はずれな事を書いているかもしれませんが。


 逆に、政府にとって不都合なのが、非「フランス」的な表現なのでしょうか。今回の同時テロ事件後「テロ擁護発言」をした人が逮捕されているとの報道(→こちら等)を目にして、私は「フランスにも表現の不自由があるなぁ」と思いつつ、現在開催されている「表現の不自由展」(→こちら)に行き、物販コーナーで買った冊子の一つ『インパクション』誌197号(最終号)をパラパラめくっていたら、94頁に、現在フランス在住の鵜飼哲氏による「パレスチナ連帯デモが禁止される国から フランス『共和国の原住民党』の闘い」というタイトルの論文が掲載されていて、全ては連綿と繋がっているのだなと思いました。こうも色々と繋がっていては私の理解が追いつかないので、この一連のエントリはいったん区切りたいと思います。また考えがまとまったら、このブログに書きたいと思います。


 ところで、事件後、ツィッターで「JE SUIS CHARLIE」のハッシュタグが多く用いられるようになった頃、イスラモフォビアに対抗するタグも発生してるとの報道がフランスでありました(→こちら)。「I'll ride withyou」「voyage avec moi」「Je Suis Ahmed」など。最後のは、テロリストに殺された警察官の名前に由来したとの事でした。これって結構良い話だと思ったのですが、他ではあまり報道されてないようで、残念に思いました。


 最後に、ちょっと気になる事を一つ。前段落の件をネットで報道した『レクスプレス』誌と、『シャルリー・エブド』最新号を制作するのに間借りした『リベラシオン』紙が、イスラエルのテレビ局「i24News」と共に併合されて「Mag&NewsCo」という名のメディアグループが誕生するという話。(フランス語の報道は→こちら、日本語の報道は→こちら)。これって一種の「クロスオーナーシップ」にあたるのでしょうか。それとも、国外のTV局なら特に問題にする事ではないのでしょうか。フランス(語圏)のメディアのグループ化については、なだいなだ氏が『ちくま』誌の連載で書いていた記憶があるのですが(残念ながら現物は手元に無し)、この併合が将来、報道にどんな影響を及ぼすのかが気になりました。以上。


追記)今回のテロ事件を受けて、識者による解説が幾つか上がっているので、ここに列挙します。(まだ未消化なのですが、今後の参考のためのリンクメモ。)

2015/01/20

「私はシャルリーだ」と言いづらくて(その3)

 事件発生が1月7日だから10日以上経ってしまいましたが、もう少し、思った事を書きます。最新の情報をチェックしていないので、ズレた事を書いてしまうかもしれません。追悼イラストに4人の漫画家を描くような。今現在、漫画家の犠牲者は5人だと認識しているのですが、どうかこれ以上増えませんように。


 そう、この報道を追いながら嫌でも思い知らされたのが「人は平等ではないな」という事。4人(時に5人)の犠牲者ばかりがクローズアップされてますが、一体ここ数年、中東やアフリカでどれだけの人が何も悪い事をしてないのに、誰も挑発していないのに、殺されていったのか。「中東やアフリカで」などと漠然と書いてしまう自分自身にもまた、恥じる思いがします。そして、銃撃犯に殺された警官の中にイスラム教徒がいたとか(→こちら)、同時に起きたもう一つの立てこもり事件で人質を助けた店員がマリ人だとか(→こちら)、警官や店員の行為そのものが勇敢で尊いのは勿論ですが、取り立てて宗教や国籍を強調する意図は何なのでしょう。襲撃犯がイスラム教徒であることから、イスラム教徒がイスラム教徒を襲った愚かさをあげつらう意図は無いと言い切れるのでしょうか。


 『シャルリー・エブド』紙襲撃事件を受けて、フランスでは「JE SUIS CHARLIE(私はシャルリーだ)」というスローガンが生まれ、ネットの内外で、フランスの内外で、このスローガンを印刷した紙を持つ人、ツィッターやブログタイトルの背景に表示させる人が大勢発生しました。ネット上では「solidarité(連帯)」の文字を何度も見ました。表現の自由を守り、暴力による抑圧を否定する。その態度は実に正しく反論の余地は無いのですが、どうしても割り切れない思いを抱え、「私はシャルリーだ」と言えない私がここにいる事を書き留めておきたくなりました。


 「連帯」を叫べば、同時に「排除」が生まれるのは必然ではありませんか。オランド大統領は早い段階で「容疑者らについて『こういった過激派は、イスラム教とは何ら関係がない』と強調した。」と釘を刺してはいるのですが(→こちら)、イスラム教の礼拝所などが攻撃される事件が相次いで起こっていたのは(→こちら)沈静化したのでしょうか。また、テロリストとイスラム教徒とは区別されるべきである事も強調されてはいますが(→こちら)、この事件が更なる排外主義や戦争に利用されない事を願うばかりです。ただ、バルス首相が議会演説で「対テロ戦争」を宣言したとの事で(→こちら)、共通の敵を認定し国民の団結を図るというのも見え透いた手口であり、何とも嫌な予感がします。


 そもそも、果たして今回の事件(『シャルリー・エブド』紙襲撃事件と、同時に起きたユダヤ教系食料雑貨店立てこもり事件)は、『シャルリー・エブド』紙の挑発的なイラストだけが原因だと言えるのでしょうか。フランス国内でのイスラム教徒の不遇や、シリア内戦に対する不作為やマリに対する軍事介入等での大勢の死者、難民の発生も遠因には当たらないのでしょうか。風刺画の件はあくまでもきっかけ、或いは襲撃する動機のシンボルだったという事は無いのでしょうか。そんな中での「JE SUIS CHARLIE」の大合唱は、他の要因を見えにくくさせる、或いは目をそらす効果があるのではないかと勘ぐってしまいます。


 それにしても疑問なのが、『シャルリー・エブド』紙は何故、あんなにムハンマドに執着していたのでしょう。もし可能なら、同紙の風刺対象のジャンル別数や年ごとの変遷が知りたいものです。そんなにイスラム教徒が脅威だったのでしょうか。確かに「イスラム軍」や「ボコ・ハラム」の蛮行が猛威を振るっていますが、それらのならず者とイスラム教との峻別は出来なかったのでしょうか。また、この度の襲撃犯はフランス国内で生まれたアルジェリア系の孤児で(→こちら)で、同時に起きた食料雑貨店立てこもり事件犯はマリ系との事で(→こちら)アルジェリアもマリも、かつてフランスの植民地。この事件に関して「移民問題」が叫ばれているように感じますが、「植民地支配の産物」という側面もあるように思えます。なにぶん素人考えなので、見当違いだったらお許し下さい。


(すいません、まだ完結しません。恐らくあと一回で完結する予定…。)

2015/01/16

「私はシャルリーだ」と言いづらくて(その2)

 前回のエントリで、私がツィッターのTLを眺めて『シャルリー・エブド』本部襲撃事件に気付くちょっと前に見たTWは以下の2つ。共にスペインの新聞の電子版で、上は『エル・ムンド(@elmundoes)』からのRTでした。

▼(拙訳:フランスの週刊誌『シャルリー・エブド』の幾つかの表紙)




▼(拙訳:襲撃されたばかりの風刺紙『シャルリー・エブド』は、2006年にムハンマドの戯画を発表した)

 この2つの画像を見たとき「まーた、あそこ何かやらかしたのか」と思ったのは、上記の下のTWにもあるように、ムハンマドの戯画の一件を思い出したから。デンマークの『ユランズ・ポステン』紙が掲載した画像を再掲載して、イスラム諸国で抗議を受けた件。その時刊行された増刊号の表紙画像が以下の通り。
▼(拙訳:原理主義者達についていけないムハンマド。「馬鹿者達に愛されるのは辛い…」)
charlie-hebdo_dur.jpg
 私には、この表紙の絵がとても不快に見えました。大元のデンマーク紙の絵も酷いと思いましたし。乱暴を働いているイスラム教徒がいれば、その人達を非難すべきなのに、なんでムハンマドを持ち出すのか。イスラム教では偶像崇拝は禁じられていると聞きますし、ましてや対象は彼らにとって大事な預言者。大元のデンマーク紙の絵に大勢のイスラム教徒が抗議活動を起こすのは、それ程おかしい事とは思えませんでした。それに加えて、この表紙画。抗議者の神経を逆撫でして何が面白いのでしょう。しかも、何で預言者に成り代わって、勝手に心境を代弁するのでしょうか。
 また、この時期はイラク戦争が継続していた時代。あるんだかないんだか結局うやむやにされた「大量破壊兵器」の為に戦争が勃発し、多くの人々が殺傷された事でしょう。イラク戦争に先立つ、911を受けてなされたアフガニスタン空爆も同様に。確かに悪事をはたらくイスラム教徒はいたのでしょう。しかし、そうではないイスラム教徒までもが巻き添えを喰らう事のどこに正当性があるのか。この表紙画もそうやって、罪を犯していないイスラム教徒をも巻き込んで傷つけているように思えました。


 この時の表紙画はイスラム系の有力組織2団体が提訴したそうですが(→こちら)、被告の『シャルリー・エブド』紙編集長が勝訴したとの事(→こちら)。欧米ではヘイトスピーチの法整備がなされているとは聞きますが、裁判で勝てば侮辱には当たらないというのでしょうか。裁判に勝ったというのは、単に不法行為にあたらないというだけの話で、倫理的に問題があると主張する事自体は何ら間違っていないと、私は思います。
 かつて『ルモンド』紙に掲載された「シャルリー・エブドはレイシストではない」という記事を翻訳されてる方がいらっしゃるのですが(→こちら)、正直、「独りよがり」という感想がぬぐえません。執筆者達は自ら「左派」だと言うのですが、上記のムハンマドが嘆く表紙を見て思うのは、権威の姿を借りてもの申すというのはその権威を認めているという事で、それが左派の行為と言えるのだろうか。また、このエントリ冒頭に引用したRTの画像の一つの、警官が女性の頭を殴っている絵の吹き出しは「中絶禁止!」と書いてあるのですが、警官の行為を非難しているのでしょうけれど、何らかの出来事で苦しんでいるであろう妊婦の描写が酷くて、見るに堪えません。こういう感想を書くとナイーブのそしりを免れないかも知れませんが、逆に言わせて貰えば、そちらは暴力指向に思えます。拳を振るうだけが暴力ではありません。


 あと、どうしても不愉快に思えたのはこの表紙画。
▼(拙訳:愛は憎しみより強い)
charlie_hebdo_lamour
 どういう出来事を受けて描かれたかは知りませんが、イスラム教徒との和解が何ら行われていないであろうに、一方的に相思相愛を描いていると思います。相手の気持ちを考えない、一方的な愛の行為は、暴力というものです。この絵を見て喜ぶイスラム教徒が果たしているのでしょうか。むしろ神経を逆撫でしているのではないかと思いました。


 先述の翻訳記事に「司祭、ラビ、イマームのことを笑いものにしつづける。」と書いてあって、どの宗教も分け隔てなく笑いの対象とするという、一件フェアな態度のように見えますが、ムハンマドはイマームでは無いと思うのですが。キリストをおちょくっている絵を描いているのにムハンマドを描かないのはおかしいという事なのかも知れないのですが、やっぱり独りよがりな態度に思えます。ところで、仏教や神道は笑いものの対象では無いのでしょうか。『シャルリー・エブド』紙のツィッター(@Charlie_Hebdo_)の画像だけを追って見たのですが、政治家の戯画が多くて、一見リベラルに見えますし、先述の翻訳記事でもその旨主張されているのですが、それをもってムハンマド描写への不快感が覆ることはありません。言葉や知識の壁があるし、現物を読んだ事もないのですが、ネットに上がっているものを見る限り、『シャルリー・エブド』紙に対する私の印象は「独りよがり」の一言につきます。


 ところで、今回の襲撃事件を受けて、私の過去のTWが発掘され、ポツポツとRTされてます。現在たったの12RTですが、ネットの秘境のような零細アカウントにとっては珍しい事です。


 確かに私は『シャルリー・エブド』の風刺画に批判的ですが、だからといって、決して「その血であがなえ」とは言ってませんから。そこはどうか誤解のないようにお願いします。


(その2では完結出来ませんでした。この件、まだ続きます。長くなってすみません…。)

2015/01/13

「私はシャルリーだ」と言いづらくて(その1)

 私はツィッターで様々な国の新聞社(といっても日英仏西中の言語で書かれたアカウント)をフォローしていて、TLをだらだら流して、知ってる意味の言葉を拾ったり、時に翻訳サイトにコピペしたり、更に電子辞書を叩いたりして外国のニュースを解読するのが好きなんですが(と言っても、理解できるのはごくわずかだし、目が疲れるから、単に眺めるだけの事が多いんですが)、1月7日の夜、スペインの『エル・ムンド』電子版や『エル・パイス』電子版からのRTやTWからフランスの諷刺漫画紙『シャルリー・エブド』の画像が流れるものだから「まーた、あそこ何かやらかしたのか」と思い、フランスの『ルモンド』電子版のTWを解読したところ、リンク先の記事の見出しが「『シャルリー・エブド』本部が襲撃されて、少なくとも10人が死亡」と書いてあって、ものすごく驚愕したのでした。思えば、私が事件に気が付いたのが20時37分、事件発生が現地時間の11時20分頃(→こちら)、日本との時差は8時間だから、日本時間で19時半(前掲のリンク先の記事は日本時間を間違えていると思う)だから、事件発生から1時間ちょっとで現場から遠く離れた日本に伝わるのだから、ツィッターの威力は凄いものです。


 そして、フランス語なら『ルモンド』紙電子版(→こちら)、英語なら『ガーディアン』電子版(→こちらと、その後→こちら)が事件の経過が刻一刻と伝えるものだから、かなり長い間パソコンに張り付いたものでした。


 しかし、陰惨な現場から遠く離れて、しかも炬燵でぬくぬくしながら画面に釘付けになっているのも火事場見物みたいで何か不謹慎な気がして、気が咎めたりもしたのですが、それだけ張り付いたからには、一申し上げたいのですが、フランスの通信社の日本語版サイト「AFPBB NEWS」の報道で「パリ新聞社襲撃、フランスの一流漫画家4人が犠牲に」(→こちら)と書いてあるのですが、その後、5人目の漫画家の死亡が報道されてる(→こちら)のに、フランス本国でも認識していない人がいる模様(追悼イラストなど見ると)で、困惑しました。だって、目にしたTWやRTの1人1人に突っ込みを入れる気にはなれませんでしたから。ただ、英語報道で気になっていた、出頭した18歳の若者は、実は実行犯でなかった事が確定したのは(→こちら)、良かったと思いました。すると、実行犯は襲撃犯2名という事で良いのでしょうか。当初、実行犯は3名と報道されていました(→こちら)が…。仏当局は関係者数名の身柄を拘束しているとの事ですから、いつか事件の全容が解明される日が来るのを待ちたいと思います。


 事件の経過を見つめつつ思っていたのですが、私は、襲撃犯2人には死んで欲しくなかった。生きたまま逮捕され、法の手続きにのっとって動機、背後関係、武器の入手経路等々が明らかにされ、法の裁きによって刑に服し、更正の道とが探られんことと事件の再発防止を祈っていました。最終的に人質をとって立てこもった上に銃撃戦をなってしまっては(→こちら)射殺もやむを得なかったとは思うのですが、私はこの2人には投降して欲しかった。フランスを始めEUは現在死刑制度が廃止され、近年、日本に対してもそれを促しているのだから、この事件がどう裁かれるのか知りたかった。また、犯人だって、死刑制度が無いなら投降すれば良かったのに、何故死ぬ事が確実な選択をしたのか、疑問にも思いました。



 この事件を受けて、フランスでは「JE SUIS CHARLIE(私はシャルリーだ)」のスローガンが生まれ、多くの人がそれを掲げ、表現の自由を守るべく連帯(solidarité)を訴えています。11日にはフランス全土でテロに反対するデモが行われ、パリでは幾つかの国の首脳を含めた大がかりな行進が行われたとの事で(→こちら)、参加者の多くが「JE SUIS CHARLIE」のプラカードを掲げている模様でした。ツイッターのアイコンや背景画面に表示させているアカウントも、フランス以外の国々でもみかけます。確かに、テロによって表現の自由が脅かされる事は、決してあってはなりません。でも「私はシャルリーだ」って、私はすごく言いづらい…。


 (長文につき、いったん文章を区切ります。)

2015/01/06

祝祭とガイコツ

 1月も6日になると、お屠蘇気分も抜けきった頃ではないかと思います。遅ればせながら、明けましておめでとうございます。


 お正月といえば、おめでたいものと相場が決まってますが、そこへ一抹の忌まわしさを投げかける1人の僧侶の姿が。時は中世。応仁の乱が勃発しようかという時代。
▼『あっかんべぇ一休』第4巻266頁より(坂口尚作、1996年1月刊)
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 一休さんによると、ガイコツは決して忌まわしいものではなく、めでたいものだと言う。「人間の皮の下は皆ガイコツ」「男女の色気も吹き飛んじまうし 身分の上下の区別もつかん」「醜いところのないこの骸骨 めでたきものじゃ」(268頁)。しかし、めでたいものだと言ったその次の頁では「めでたくもあり めでたくもなし!」「ご用心ご用心」と、正月気分の心にクギを刺しながら、ガイコツをてっぺんに指した棒を振り回して往来を練り歩く。めでたいんだかめでたくないんだか、どっちなんだと言いたくなりますが、人として生まれ人として生きるという営みは、その両者を引き受けることなのでしょうね。つつがなく正月を迎える幸せも、やがて訪れる冥土の旅も、ともに受け入れざるを得ないのが人の宿命であり、一休さんが振り回すガイコツは、その営みの到達点なのでしょう。


 さて、何故このような前振りをしたかというと、“めでたい日にガイコツ”というイラスト(一コマ漫画)を、メキシコの新聞『La Jornada』のツイッター(→こちら)で見かけたからです。昨年末のクリスマス、日本ではケーキやプレゼントでお祝い気分の人もいれば、そのようなお祝い気分を粉砕せんとする人もいたと思われますが、そのどちらの気分をも凌駕するインパクトを感じたのが、以下のイラストでした。


 …「Postal navideña」は「クリスマスの絵葉書」、タグの中の「Moneros」とは、メキシコでは「漫画家」を指すみたいです。後者の単語は辞書には載ってなかったのですが「Linguee」という中国の英文中訳サイトに文例が載っていて(→こちら)、その出典となるページがweb.archiveに残っていたので(→こちら)、斯様に判断しました。中国語の解説によると「在墨西哥,漫画家被称作“moneros”,因为他们画的是“monitos”(字面意思是“滑稽的人物”)。(拙訳:メキシコでは漫画家は“moneros”と呼ばれる。何故なら彼らの描くのは“monitos”(字面の意味は“滑稽な人物”)だから。」だそうです。「monitos」も辞書に載ってなかったのですが、「mono(猿、まねをする人、おどけもの、ふざける人、等)」という単語の縮小辞(の複数形)なんでしょうか。


 そして「Antonio Helguera(@aHelguera)」さんという方がこのイラスト作者で、ご自身のコメント付きで、同じ画像を載せていました。


 …(拙訳:「親愛なる諸姉諸兄。あなた方にとって幸せなクリスマスでありますように。この愛情深いクリスマスカードを添えて。」)


 メキシコでガイコツといえば「死者の日(Día de Muertos)」。日本におけるお盆に近いそうです。以下の2つのページが詳しいです。


 マリーゴールドの鮮やかな黄色や、ガイコツの砂糖菓子のカラフルな色彩を見ていると、「死」の恐ろしさから遠く離れた陽気さを感じてしまいますが、今年の『La Jornada』紙のアカウントによる「死者の日」の紹介文には恐怖をかきたてられました。


 …今年の「死者の日」に関する写真ギャラリー紹介のツィート。「(拙訳)私を殺してください、何故なら私は死にそうだから」という不吉な文言のリンク先の記事(→こちら)には、以下のような文章がありました。「(拙訳)2014年10月31日。数年からこっち、――当然のように――メキシコでは毎日が死者の日だと言われる。組織犯罪がらみの暴力事件が、この国に死体をばらまく。だから『死者の日』の伝統の記念祭は、そのお祭り気分を失うことなく、悲劇的かつ悲惨な様相を見せる。仮装、仮面は、歓待、招魂であるが、ここ数年の不幸の通知でもある。」


 近年のメキシコにおける陰惨な殺人事件は日本にも伝わってきます。あまり伝わって来ない事件もあります。「メキシコでは毎日が死者の日」という言葉が心に刺さりました。どうか、彼の地に平穏が訪れますように、そして、平穏の中で故人の魂との交歓が為されることを願わずにはいられません。